お経が好き、と言うと、まずたいてい「変わってますね」と言われる。
自覚はある。
占いが好き
ご神仏が好き
神社が好き
お寺が好き
仏像が好き
仏画が好き
お香が好き
お経や真言が好き
――ひと言で言うなら「神秘」に近づくのが好き、なのかも知れないが、子供のころからそうなのだから(ご神仏に本格的に惹かれるようになったのは歳をとってからです)もう「業」なのでしょう。
でも、中でもとりわけ、お経が好きというと「なんで!?」と言われることが多い。
もうずいぶん前のことだが、車を運転しながら必死に般若心経をそらんじていたら、同乗していた相方から「頼むから車の中でお経を読むのはやめてくれ」と言われたこともある。
まあ、変わってますよね、きっと笑。
なぜ好きか。
私なりに理由はあるのだが、この記事では言わない。
だが、いつもお経を覚えていて思うことがある。
最初はまったく覚えられない。
しかし、何度もくり返し覚えようとすると、少しずつ、少しずつ、頭に入ってくる。
ところが、口に出して唱えようすると、うまく出てこない。
でも、これまたくり返しくり返し、とにかくしつこくリピートすることで、少しずつうまく出てくるようになる。
全部覚えるのには時間がかかる(私の頭の問題です)。
しかも、少し唱えることをサボると、悲しいかなボロボロと忘れる。
以前の努力をくり返し、失いかけたものを取りもどす。
くり返す。
くり返す。
くり返し唱え、唱え、唱えて、やがてようやく、目を閉じていてもお経を唱えられるようになる。
そして。
ようやく「入口」が遠くに見えてくる。
これって、よく考えたらすべてに通じる。
お経を覚える、という行為を通じて、私はさまざまなことを学んでいる。
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