みなさんは「おみくじ」を信じますか?
私は気になるほうです。
自身が扱う算命学の占い結果に「神意」を感じることもありますが(=算命学が天の声、神意を神に代わって伝えているという感覚です。そういうことはとても多いです)、そうだとしたら神社で引くおみくじはまさに「神意そのもの」。
襟を正し、真摯な気持ちで参拝をしたあと、境内の一隅で引くおみくじほど「神の声」に近いものもないのではないでしょうか。
で。
初春の賑わいが一段落したある時期、私は仕事場の近くにある崇敬神社に出向き、年頭の挨拶を神様に申しあげるとともに、「おみくじ」を引きました。
珍しい一枚が出ました。
決して「凶」ではないのですが、いつも「吉」以上しか引かない私は生まれて初めて見るようなおみくじ。
世の中にはこんな名前のおみくじも入っているのだとはじめて知りました。
ちょっと、とまどいました。
でもおみくじにくわしく書かれている文章には真実味があります。
当たっているかもと思えることも。
胸に刻もうと思いました。
それから一か月。
占い師には毎日いろいろなものが飛んできます。
もちろんお相手は飛ばしている気などないでしょうし、こちらも「あ、来た」とそのたび思っているわけではないのですが、一日の終わりにどんよりと身体が重くなるようなときは、確実にいろいろと浴びています。
懇意にさせていただいている友人の霊能者さんに、
「いちばんいいのは、神社で神氣を浴びること」
と言われ、ではまた崇敬神社に参拝に行ってくるかと思った私は、先日約ひと月ぶりに、またお参りにいきました。
で、またおみくじを引いてみました。
一か月前と同じおみくじでした。
その神社にはいくつものおみくじ箱が置いてあり、前回とは違う箱を選んで引きました。
中に手を入れるとあるくじが指に引っかかります。
これを引けと言うことだなと思って引いたところ、一か月前とまったく同じ一枚が出てきました。
もうね、「だからこれだと言っておろうが!」という天の声まで聞いた気がしましたよ。
まさに、いやというほどの神意笑。
いやというほどの神氣笑。
ああ、やはりおみくじにも神様は宿られている――。
そう痛感させられた春の一日。
精進あるのみ、です。
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